2015年1月3日土曜日

生と死 場 ラポール (1)


私たちは生きるとは何か、

なぜ生きるのかと問うのは、

近親者、友人、知人、はたまたペットや草花などの死に直面するからでしょう。


その事実や経験から、いずれ自分も死ぬことになる、

このことが避けられない真実として認識されるからではないでしょうか。


そういう素朴な認識の上に更にいろんなことを教わります。

 「生者必滅」
 「形あるものは必ず崩れる」
 「会うは別れの始めなり」
 ・・・
枚挙にいとまがありません。


このように生きることを考えるのは「死」があるからです。


もしも、人間や動物、植物が不死身であるのなら、

もしも、形あるものが崩れることがないのなら、

人間の疑問は「生きるとは何か、なぜ生きるのか」ではなく、

「どう生きるか」になるのではないでしょうか。


ですから、「なぜ生きるのかではなく、どう生きるかだ」という人がいますが、

私には根本課題からの逃避、或いはすり替え、詭弁としてしか聞こえません。


「なぜ生きるのか」がわからなくて、

どうして、「どう生きるか」がわかるというのでしょうか。


このように、生きることを考えるには死ぬことを考えることであり、

死ぬことを考えるのは生きることを考えることです。


では、生と死はどのように関わりあっているのか、

次回にその概念の枠組みを見ていきたいと思います。