2008年7月30日水曜日

〔ラポールコミュニケーション・スキルアップ教室〕 (1) うなずき

〔ラポールコミュニケーション・スキルアップ教室〕
(1) うなずき

聞く人がいるから話すことができる
話す人がいるから聞くことができる

ラポールコミュニケーションでは、
聞くことと話すことは、
同じ重みを持ち、
同じコミュニケーション行為であると考えます。

今回は日常のコミュニケーションの基礎となる“うなずき”を考えて見ましょう。

“うなずき”は、聞く行為の一つだと思われています。
相手が喋っていることに合わせ、
黙って頷いているのでそう見えます。

しかし、“うなずき”の中身をよく見てみると、
話すことへの同意や理解を話し手に伝え返す働きかけです。
「うん、うん」、「そう、そう」など、
聞き手の気持ちを伝えています。
話し手よりも先にうなずいて、
次の話を催促することもあります。
“それで、それど、どうなの”、“早く、言って”と、
まるで話すように“うなずき”をもって催促します。
これは、誰の目にも、無言ですが「話す行為」です。

このように、“うなずき”は聞くという受身の行為と同時に、
話し手に積極的に語りかける話す行為でもあるのですね。

「聞く行為は話す行為でもある」という
ラポールコミュニケーションの考え方をベースにして、
“うなずき”をスキルとして見て行きましょう。

キリのタイミングで投稿が少なくなりましたが、
今回の内容は自信をもって提供しました。(^_^)/

次回、“うなずき”を具体的に検討します。

(注意)
「聞く行為は話す行為でもある」という考え方は、
カウンセリングでの Active Listening (積極的傾聴)、
=クライアントの話を評価などせずに、
感情や気持ちをあるがままに受け容れるという概念とは異なります。

2008年7月21日月曜日

【ひとこと】メラビアンの法則に異議あり!

メラビアンの法則に異議あり! 

コミュニケーション関連の本やセミナーなどで、
アメリカの心理学者アルバート・メラビアンの3Vの法則がよく引用されます。
  コミュニケーションにおける伝達力
   視覚情報(Visual) 55%
   聴覚情報(Vocal)  38%
   言語情報(Verbal)  7%
コミュニケーションでは言葉で伝えられるのは7%に過ぎなく、
それよりも高い伝達力を持つ表情や目線、声音などの非言語情報が大切である、というものです。

ある意味、正しいようにも思えます。
例えば、デート中の恋人の甘い会話などには当てはまるかも知れませんね。
実のところ、彼らは言葉よりも行為を必要としているのですから。

しかし、通常の“おしゃべり”や会話で「言葉で伝えられるのは7%」
と言われてもどこか納得できないですよね。

先日の公民館での仕事のこと。
点字サークルの人が部屋の利用のことで窓口に来られました。
その人とちょっと雑談をしていたのです・・・
視覚障害のある人は風の音や匂い、
手で触れた感触など視覚以外の感覚が鋭くなり、
目が見える人が気づかない世界を知ることができる。
目が見える人は見ることに頼ってしまい、
大切なものが見えないこともある、などなど。

余談ですが、このとき私がかなり喋ったと思います。
聞くことよりも喋るほうに傾きましたが、
その人とラポールが形成されていたと思います。
この点のコミュニケーションのあり方のついては、
ラポールコミュニケーション・スキルで述べたいと思います。

さて、メラビアンの法則が正しいとすれば、
視覚障害のある人とのコミュニケーションは、
最初から視覚情報55%の伝達力を失っていることになり、
聴覚障害のある人との場合は聴覚情報38%を失っていることになります。
しかし、現実にはそんなことはありません!

また、日常的に見てもパソコンやケータイでのメール、
つまり言語情報のみでコミュニケーションが完結したり、
手紙などは対面では伝えにくい気持ちさえ伝えることができます。
それなのに、言語情報には7%しか伝達力がないなどとは、
事実に照らしても信じられません。

でも、メラビアンの法則は結構、みんなに信じられているのですよ。
私にはメラビアンの法則よりも、
それが疑いもなく信じられることが信じられません。
現実の世界で実際のコミュニケーションをしていて、
なぜ、疑問が湧かないのでしょうか。
一体、何を見ているのでしょうか。

今の子どもは「指示待ち」で自分で考えない、と言われますが、
もし、メラビアンの法則を鵜呑みにして自分で考えないとしたら、
今の子どもの「指示待ち」を嘆くことができるでしょうか。

私は現存するコミュニケーション・スキルについても、
鵜呑みにせず、一度、自分の頭で考えて欲しいのです。

最後に・・・
メラビアンの法則に疑問をもって調べていたら、
ネットに明解な答えがありました。でも、
これもあなたが考えてあなたが判断してくださいね。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hiraki/d74.htm

2008年7月17日木曜日

〔ラポールコミュニケーション・スキルアップ教室〕 - はじめに -

- はじめに -

①ラポールコミュニケーションの前提
あなたが誰かと“おしゃべり”するのは、
自分の気持ちを聞いてもらいたかったり、
何らかの関係を大事にしたいからですよね。

相手もあなたと同じように気持ちを聞いてもらいたかったり、
あなたとの関係を大事にしたいから応じてくれるのでしょう。

ラポールコミュニケーションを楽しむことが出来る前提として、
お互いにラポールの関係にありたいこと、と言えそうですね。


②聞くことと話すこと
“おしゃべり”は話す行為と聞く行為でできていますよね。
聞く人がいるから話すことができるのであり、
話す人がいるから聞くことができるのです。

まあ、当たり前の話ですが・・・
“おしゃべり”は、話し合い、聞き合う行為です。

話す側と聞く側が交互に入れ替わると話が弾みそうですね。。。?
喋るばっかりの人と聞かされるばかりの人がいるのでは、
良い“おしゃべり”にはならないようにも思えます。。。?
話したり聞いたりがバランスよく均衡した循環にあるとき、
ラポールコミュニケーションが生まれているようにも思えます。。。?

しかし、実際の“おしゃべり”の場面を観察すると、
そうばかりではないようですよ。

大体においてよく喋る人と聞くばかりの人がいます。
何人か集まっても均等に話をしているというのは余りないようです。
指名でもされない限り、黙ってニコニコしている人も結構いるものですが、
その場の雰囲気は紛れもなくラポールコミュニケーションです。

これは一体どういうことでしょうか。

モノの本には「コミュニケーションでは、
話すよりも聞くことの方が大切だ」などと、
聞くことの大切さを説く本が多いように思います。

確かにそうとも言えますが、何かおかしいと思いません?
話す人の存在があって初めて聞くことができるのですよ。

また、まず聞いてから・・・というのも、
相手の出方を見てから自分の態度を決めるという感じで、
ちょっとズルイような気がして私の性に合いません。
それに、みんな聞くことに重点をおく人になったら、
“おしゃべり”していて何か面白いでしょうか?

私にはコミュニケーションにおける「聞く(聴く)」説には
何かが足りないのではないか、と思えるのです。

今回は理屈っぽくなってしまいました。 <(_ _)>

次回は、この点をもう少し掘り下げてから、
具体的にコミュニケーション・スキルを考えるとしましょう。

2008年7月5日土曜日

オトコのコミュニケーション塾③ 目的的、意味的に生きるクセから自由になる 

〔目的的、意味的に生きるクセから自由になる〕

“おしゃべり”するのに何も目的や意味などありません。
まあ、敢えて“おしゃべり”の目的や意味を言うのなら
目的的、意味的に生きるクセから自由になって、
自分を取り戻す行為と言えましょう。

大体、男性は何をするにも、何かの目的や意味を持って行おうとします。
何の目的も意味もないことは無駄なことだと思っているからです。
しかし、その目的や意味は、案外と自己の外から与えられたもの、
例えば家族の期待や会社の要請を無意識に取り込んでいることも多いのではないでしょうか。
しかも、何をするにも納得のできる目的とか意味を持たないと安心できないみたいです。
ですから、“おしゃべり”にも何か目的や意味を見出そうとするのでしょう。

さてさて、日々何かの目的や意味を持って懸命に生きておられる貴兄、
それでは息が詰まるのではないですか?
たまには、何の目的も意味もない“おしゃべり”をしてみませんか。
やってみると結構、良いものですよ。

ただ、ゆめゆめ“おしゃべり”で自己回復してまた頑張ろう!
ってケチなことを考えなさいませんように。
それじゃあ、いつもの目的や意味づけをするクセガ出てしまっているのです。
そんな“おしゃべり”では貴兄のこころが自由になれないですよ。

ましてや、“おしゃべり”を仕事の上での情報収集や、
職場の人間関係の改善による生産性の向上とか、
人的ネットワーク作りのためなどと、
目的指向型のコミュニケーションにしてしまっては勿体ないことです。

“おしゃべり”の目的や意味は、
目的的、意味的に生きるクセから貴兄を解放し、
ほんとうの貴兄に戻ることなのですよ。
これがまた最高に心地よいのです。
生きていて良かったと思える瞬間でしょうね。

こんなすばらしい“おしゃべり”を貴兄にもどんどんして欲しいです!
そして、貴兄の人生を謳歌してください。

ところで、じゃあ、どんな風にすれば良いのか?
よく訊いてくださいました。

次回からは、〔“おしゃべり”スキルアップ講座〕を開講します。
これを受講していただくと貴兄も“おしゃべり”の達人になれますよ。

恋人や奥さんも・・・きっと貴兄に期待していると思いま~す。

2008年7月1日火曜日

〔ちょっとティータイム〕ヤギとラポールコミュニケーション

先日、“第11回全国山羊サミット in 京都”の実行委員会
(事務局)京都大学大学院農学研究科附属牧場 北川政幸准教授
への参加で京丹波町に行ってきました。  
京都大会を成功させようとヤギ好きの仲間、
北川研究室ゆかりの学生さんなどが一同に会したのです。

実行委員会は最初からラポールが形成されていて、とても良い雰囲気でした。
まあ、ヤギの好きな仲間ですから当然ですよね。
北川先生もざっくばらんなお人柄、
それも雰囲気を良くしたのだろうと思います。
経過報告や今後の取り組み、広報の仕方など、
予定時間を大幅に延長して熱のこもった話し合いが出来ました。

さて、会議で私がポスターのことで注文を付けました。
実はラポールコミュニケーションとは程遠い、直截的な物言いをしました。
その言い方がその場の雰囲気では良い、と直感的に判断したように思います。
ポスターの原案は北川研究室のD3の学生さんが作ったものです。
相手の学生さんが受け取った気持ちはどうだったのか、
いつか聞いてみたいと思っています。
ラポールコミュニケーションの特殊なあり方の発見になるかもしれません。

今日、修正案、というより別に一般用に作成したポスターの原案が届きました。
そこには、当日話し合った内容が入っており、
見た途端、わあ、いいなあ、と思えるものでした。
少し、気になった部分について意見を送りました。
今度はラポールコミュニケーションに添った表現をしました。
最終ポスターは〔ちょっとティータイム〕に載せます。

会場は、亀岡市にある京都学園大学です。
ふれあいヤギやヤギ関連グッズ・商品がありますよ。
是非、ご参加ください!