2012年9月20日木曜日

第8回2級キャリア・コンサルティング技能検定合格



やっと、合格発表がありました。

本当に「やっと」です。


第8回は何故だか、発表が2週間延びてしまいました。

「厚生労働省より特例講習が実施要領どおりに実施されていないと指導を受けた」

発表が延びたことへのキャリ協の説明なのですが、

それが本当かどうか、確認のしようがありません。。。


でもまあ、発表があったので、いいとしますか。


今回の合格率は 31.65% 

過去、一番高い合格率でした。


私がKグループと一緒に支援してきたMグループの合格

   12名中 4名の合格者
          33.33%

合格率では少し、平均を上回りました。


試験ではもちろんのこと、合格が一番なのですが、

しかしながら、試験勉強で何を得たか、

このことも合否に劣らずに大切なことと思います。


今回、試験に取り組んだMグループのみなさん、

それを支えたKグループの講師のみなさん、

心を一つにして取り組んだ経験こそ、

大きな宝物になっているはずです。


合格された4名の方、おめでとうございます!

第9回に再挑戦するみなさん、

これからも仲間と共に頑張りましょう!!


 
   

2012年9月6日木曜日

第8回2級キャリア・コンサルティング技能検定合格発表延期



合格発表が延期されました。


キャリ協HP技能検定サイトを見ると、

「合否結果につき厚生労働省と調整中」とあります。

いつまでの延期なのでしょう。


噂では12日に発表というのもありますが、

確認できませんでした。


いやあ、気をもみますねぇ。

やっぱり、「待つ身」の方が辛いです。

2012年9月5日水曜日

第8回2級キャリア・コンサルティング技能検定合格発表前夜


いよいよ2級技能検定の合格発表です。


受験されたMグループ12人のみなさんは、

最善を尽くされましたので、

きっと、「天命を待つ」心境に違いありません。


本当は私もそうでなければならないのですが、

冷や冷やドキドキしてしまいます。

人間、出来てないですねぇ。


明日、全員の合否を知らせてもらえます。

どうか、良い結果でありますよう。。。


2012年9月2日日曜日

コミュニケーションにおける「場」の形成について



ちょっと難しそうなタイトルを付けてしまいました。

昨年、8月投稿「コミュニケーションは人間の生存の仕方である」と、
コミュニケーションについて当センターの見解を示しました。

今回はおじいちゃんと孫である女の子を例にとって、
コミュニケーションの「場」について考えてみます。

1.「場」が形成

女の子がおじいちゃんに手をひかれ嬉しそうに歩いている。
おじいちゃんは女の子に較べてはるかに未来がない。
女の子はおじいちゃんに較べればはるかに長い未来を持つ。

この2人に交わされるコミュニケーションは何であろうか。
コミュニケーションの代表格である言葉を例に取って考えてみる。

例えば、おじいちゃんから発せられる一言は、そのまま女の子に届くのではない。
その一言は、文化の海を経由し、文化の意味付けを施して女の子に届く。
別の見方をすると、言葉に内在する文化を具現させながら女の子に届くのである。

このような一言づつのやり取りから、
そこには文化の海、「場」が形成され、
コミュニケーションの一要素が姿を現す。

さて、コミュニケーションにおける「場」の形成には、
今のところ4つの要素を考えている。
1)時間、2)空間、3)文化、4)生存。

1)時間
おじいちゃんと女の子は「場」を形成する「時間」にどう関わるのだろうか。
おじいちゃんの時間は、何十年の「場」を経て「今」にあり、
女の子の時間は、数年の「場」の経て「今」にある。

しかし、両者が同時に存在したときから同じ「場」でコミュニケーションしてきている。
両者の「今」は常に同じ「場」にある。
「場」は過去を包摂して「今」にあるからである。

おじいちゃんが発する一言も、女の子が呼応する一言も、
「今」という「時」の同じ「場」を具現しながら行われている。
つまり、「場」に対しては、おじいちゃんと女の子は同質であり、平等である。

「場」はコミュニケーションにより千変万化して「今」に集積する。
おじいちゃんだけが生存した「時」は、
おじいちゃんと女の子が同時に生存する「時」の「場」に集積しており、

2人は同じ「場」を経由し、
又は同じ「場」を具現しながらコミュニケーションをしている。
すなわち、おじいちゃんと女の子、それぞれが生存する「時」を超えて、
「場」の内に同じ「時」として現れてコミュニケーションが行われている。
 

2)空間

おじいちゃんと女の子は「場」を形成する同じ「空間」でコミュニケーションを交わす。
「場」は「空間」を有するから実際、コミュニケーションが可能となる。
例えば、おじいちゃんと女の子が同じ部屋で話をするなら、
これは疑いのないことである。

では、別の場所からケータイで話をすると事情が変わるのだろうか。
「空間」を共有していないではないか。
そのとおり。空間を共有していないのでコミュニケーションは不可能である、
にも拘らず実際コミュニケーションはケータイで行われている。

この場合、「空間」は「場」にどのように関わるのだろう。
そして「空間」はコミュニケーションに対して、どのような位置付けになるのだろうか。

そもそも「空間」は何の関連もなく単独に存在するものではなく、
「空間」が生み出される他の関連のなかで意味を持ち得て認識に上る。
コミュニケーションとの関連で言えば、
「場」を形成する「空間」として捉えられたとき、
「空間」が存在する。

おじいちゃんと女の子は、別の場所からケータイを使って
単に、言葉のやり取りをしているのではなく、
言葉は「空間」を「場」に具現しながらコミュニケーションを行っているのである。

このようにコミュニケーションツールの発達によって「場」の拡大が進み、
おじいちゃんと女の子は、どこに居ても同質の「場」を得られるから、
日常の延長として、会話を楽しむことが出来るのである。


3)文化

おじいちゃんが発する一言は、言葉上の意味はもちろんのこと、
略語、暗喩、比喩 果てはノンバーバル、或いは使う時間帯、環境等、
それらか総合的な意味付けをして、女の子に届くのである。

我々が日常会話をするときも同様であり、
更にコミュニケーション対象者、対象グループ、状況、
或いは内容や目的、数々の条件の制約など、
その国の、その集団の、その文化を纏って行うのである。

このように「一言」に含まれる文化が「場」を形成し、
或いは「場」に含まれる文化を纏って、
おじいちゃんの言葉が女の子に届いていたわけである。

女の子が呼応する一言も「場」に漂う文化を纏い、
おじいちゃんに返されていたのであろ。

「場」について分かりやすい例を用いて説明すると、
光の三原色がある。
「時」、「空間」、「文化」が重なり合うとき白色になって、
そこはどんな色でも表現できるキャンバスが出来上がる。
このキャンバス上にコミュニケーション・ツール(言葉、非言語・・・etc
自由気ままに飛び交っているように見える。

キャンバスである「場」の存在に気づかないことが、
コミュニケーションの解釈に混乱をもたらしていると思われる。
 

4)生存

「場」は「時」、「空間」、「文化」により構成され、
人間の生存、すなわちコミュニケーションによって変化、発展する。

人間は生きる在り方をコミュニケーションで実現しており、
したがってそこは現在、自由競争、優勝劣敗の掟が貫かれており、
「場」もこの掟から自由ではない。

なぜなら、「コミュニケーションは人間の生存形態」だからであり、
ありとあらゆる競争を内在しているからである。


だから喩え、温かい感情が交流するラポール・コミュニケーションと言えども、
生存を貫く競争、戦いの中でしか得られず、
それ単独で意味を成すコミュニケーションではない。

それもそうだろう、
もしこの世界に国家、民族、人と人とに争いが無く、
誰しも温かい感情で結ばれる関係にあるのなら、
ラポール・コミュニケーションと言う言葉自体が死語になるからである。

おじいちゃんと女の子のコミュニケーションは、
温かい感情で結ばれる関係にありながら、
常に変化、発展する「場」を纏い、
或いは「場」に変化、発展をもたらしている。

そしておじいちゃんと女の子は、
地球人口の何十億分の一に過ぎないが、
これは逆に一人ひとりのコミュニケーション総和が、
コミュニケーションの「場」を作ることを意味する。

すなわち生存競争がコミュニケーションの「場」に動的要因を与え、
コミュニケーションが不断に変化、発展して行くのである。