2011年7月30日土曜日

ラポールコミュニケーションの成立要件



今日は用事で神戸花隈に行きました。

花隈には他に大きな楽しみがあります。

「朝日食堂」でお昼ご飯を食べることです。


お店の前にはいつものように行列が出来ています。

それも真夏の陽光に打たれながらですが、

今日は時々、曇ったので助かりました。


「朝日食堂」はとにかく美味しい、ボリューム満点、しかも安い。

味も盛り付けもお店の雰囲気も素朴。

店員さんも変に飾り気のない率直な応対で気持ちがいいですよ。


やっと順番が来ました。



満席なので若いカップルとの相席になりました。

目の前で二人、楽しそうに食べいます。

ここは邪魔しないように気遣って素知らぬ振りをしていました。


男の子が連れの女の子に自分の料理を渡しています。

その度に女の子からは「う~ん」、「わ~」と感動の言葉、

いや「忍び音」のように言葉が洩れます。


なるほど、ほんとうに食べるのが好きなカップルなのだ。

では、ラポールコミュニケーションが成立する。


「ここのお店、美味しいでしょう」と問いかける。

すると、二人とも弾けるような笑みを湛えて「ホント!美味しいですよね」


二人はグルナビでこの食堂の噂を知り、

大阪から食べに来たとのこと。

私も食べることはこだわります。


二人は食べ歩きをしていること、

私が亀岡から来ていること、

女の子が「先ほど、ケータイで写真を撮っていましたよね、食べるのが好きな人だと思いました」


旧知の間柄のように話が弾みます。


「楽しいおしゃべりと美味しい料理があれば他には何もいらないよねえ」

こんな人生究極の目的と言えることにも同感し合いました。


「食べることが好き」という共通基盤によって、

今日は楽しい昼食を満喫しました。


ラポールコミュニケーションの成立要件には共通基盤が必要なのです。


2011年7月24日日曜日

天神祭り


所用で大阪の南森町に行ったところ、

天神橋筋商店街がいつもと様子が違います。

なんと!運よく今日から天神祭りだったのです。

本日は宵宮。

用事を済ませてすぐ商店街に入りました。

浴衣を着たテレビ大阪の女子社員さんからうちわをもらい、

天神さんが祭られている天満宮まで、

すっかりお祭り気分で歩きました。


お囃子が流れる中、

金魚すくいやわたがしにむらがる子どもたち、

浴衣やはっぴ姿で天満宮に向かう一群、

祭り、祭り、祭り。


時間とともにどんどん人の波が大きくなります。


天満宮では軽快なだんじり囃子に乗って、だんじり競演。

お祭り気分が盛り上がります。


私もだんだん気分が高揚し、

いつしか祭り人。

たっぷりとお祭り気分に浸りました。


帰りがけ天満宮入り口横に落語の「繁盛亭」見つけました。


ああ、ここだったのか。

早速知人に携帯メールで知らせたところ、

すぐに「笑いに来よう」とまとまりました。


お祭り、いいですねえ。

勇気と力と運気が漲ります。


このパワー、日本中に届け!

2011年7月12日火曜日

ロボットとのコミュニケーション

いやあ、猛暑になりましたね。

夜、暑くて寝付けません。

あれこれしている内、

ロボットとのコミュニケーションについて考えていました。

それで余計に眠れなくなってしまいました。

もういいや、朝まで起きていよう、

と思っているうち、朝まで眠っていたようです。


中学生のころ、人間とロボットとの愛情の本を読んだ記憶があります。


新しいロボットに取り替えたいのですが、

古いロボットに愛着を持ってしまった持ち主との物語です。


最後は事故で亡くなった持ち主の墓前を動こうとせずに朽ち果てていくロボット。

誰しもその古いロボットを撤去しようとしない。


かなりの衝撃を受けた物語でした。


あれから半世紀の歳月が流れました。


今、ロボットがいろんな方面で活躍し、

ロボットとのコミュニケーションも盛んに研究されています。


もし、遠い昔に読んだロボットの物語がほんとうに再現できるなら・・・

でも、私の答えは、NO!


いつか、その理由を書きたいと思います。


ロボットと愛情の交流やコミュニケーションが可能なのか、否か。


みなさんも一緒に考えて見てください。

寝付けない夜、更に寝付けなくなること請け合いですよ。


2011年7月6日水曜日

美山

京北町周山(京都市右京区)の知人を訪ねました。

お宅は渓流沿いにあって涼しいんですよ。

その上、空気もおいしい。

日ごろのストレスなど、吹っ飛んでしまいます。


さて、前々から周山から少し奥、

「美山町」が気になっていました。

そこで無理を言って案内してもらいました。


美山に着くと目を見張りました。

そこには子どものころの風景がひろがっています。


美山の村落は駐車場から数百メートルです。

そこまで歩くのに不思議に疲れを感じません。

うれしくて興奮していたからかもしれませんね。


かやぶき屋根を眺めながらのぼり勾配を歩いていたら、

澄み切った生活用水路が目に飛び込んできました。



思わず水路に下り、水をすくい上げます。

冷たいあの感触がよみがえってきました。


しばらく行くと民俗資料館があります。

内部の展示物は何とも懐かしい。

ああ、あの日の時間がそこにある。


私たちは、何故に時間をさかのぼるのでしょう。


それらを越えて生活を改善してきたのではないのか。

将来を拓くために乗り越えねばならない桎梏だったのではないのか。


次々と人々は訪ね来る。


当時の生活のかけらも知らない若者も訪れる。

単なる感傷だけでこの地まで人を呼び寄せられるものではない。


現在は何か、

自分は誰か、

どこから来て、

どこに行くのか。


そんな人間存在の根源にせまれるからなのでしょうか。