京北町周山(京都市右京区)の知人を訪ねました。
お宅は渓流沿いにあって涼しいんですよ。
その上、空気もおいしい。
日ごろのストレスなど、吹っ飛んでしまいます。
さて、前々から周山から少し奥、
「美山町」が気になっていました。
そこで無理を言って案内してもらいました。
美山に着くと目を見張りました。
そこには子どものころの風景がひろがっています。
美山の村落は駐車場から数百メートルです。
そこまで歩くのに不思議に疲れを感じません。
うれしくて興奮していたからかもしれませんね。
かやぶき屋根を眺めながらのぼり勾配を歩いていたら、
澄み切った生活用水路が目に飛び込んできました。
思わず水路に下り、水をすくい上げます。
冷たいあの感触がよみがえってきました。
しばらく行くと民俗資料館があります。
内部の展示物は何とも懐かしい。
ああ、あの日の時間がそこにある。
私たちは、何故に時間をさかのぼるのでしょう。
それらを越えて生活を改善してきたのではないのか。
将来を拓くために乗り越えねばならない桎梏だったのではないのか。
次々と人々は訪ね来る。
当時の生活のかけらも知らない若者も訪れる。
単なる感傷だけでこの地まで人を呼び寄せられるものではない。
現在は何か、
自分は誰か、
どこから来て、
どこに行くのか。
そんな人間存在の根源にせまれるからなのでしょうか。
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