2010年6月24日木曜日

「愛」の反対語は「無関心」か


「反対語」の意味を調べていたところ、
ヤフー知恵袋に「愛」の反対語は「無関心」か、
というのを見つけました。

反対語の説明方法が素晴らしく、
そこでのテーマが「愛」だったこともあり、
引用してご紹介したいです。

・・・ ここから引用開始 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「愛」の反対語は「無関心」か


「反対語」あるいは「対義語」というものは、
もとの語と「対」になっていなければならないのですから、
「無関心」はその対象外です。

意味内容、程度、方向性などは「反対」であっても、
つまりは「同じカテゴリー」の語から選ぶのが「反対語・対義語」です。
「無関心」は、語として、
「愛」とはまったくカテゴリーが違うところにありますから、
反対語・対義語として選ぶことはできません。

「赤」の反対語(対義語)は何か、と問われた場合、
「赤は目立つ色のことだから、何も色のない『透明』が反対語だ」
・・・とは言えません。

「透明」は「色」というカテゴリーには入らない、
まったくの「別枠」にあるからです。

赤の反対語、といったら、
白か黒かあるいは色彩学的には緑かもしれませんが、・・・ともかく、
「色」の中から選ぶのが「反対語・対義語」の定義なのです。

というわけで、反対語・対義語として選ぶなら
「愛」と対になる、反対側にあるものは、やはり「憎」でしょう。

「愛」「憎」は同じカテゴリー(上の例で言うならば「色」)にある語で、
「無関心」は、「透明」と同じように「別枠」の語だからです。
とはいえ、その「偉人」の述べた内容がまちがっている、
ということではありません。

「愛の反対語は無関心だ」という発言自体は、
語の定義を言っているのではないのです。

その人は、
「愛の対極にあるものは、
通常その反対語の『憎』だと思われているけれど、
それより相手をうちのめすのは、実は無関心である」
・・・という意味まで含めて
敢えて「反対語」ということばを使ったのでしょう。

辞書的な意味での「反対語」として定義したかったのとは、
わけが違いますから、それを短絡的に受け止めて、
「愛の反対語は無関心なんだ」
と安易な解釈をするべきではないと思います。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1215962637

・・・ ここで引用終了 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この方は「東京生まれ・育ちの日本語教師です。」という人です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1042677060


本物に触れるのはホント、いいですね。

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