2008年10月27日月曜日

〔ラポールコミュニケーション・スキルアップ教室〕 みちくさ

・・・みちくさ

ぶらりと郷里に帰ってきました。
瀬戸内の小さな町です。
久しぶりに同級生に会い、
“おしゃべり”を楽しみました。

そこは紛れもないラポールコミュニケーションの場でしたよ。
そこにはコミュニケーションスキルなど全く不要だったのです。
お互いに言いたい放題、喋り放題で、
ラポールコミュニケーションの場が築けるのです。
ほんとうにスキルなどなくても、
コミュニケーションの場が作れるです。

一般的に言われていることですが、
コミュニケーションを良くすると、
・家族関係が良くなる、
・職場の人間関係が向上して生産性に結びつく、
・現在、問題になっているうつ対策に有効である、
などなど、
コミュニケーションが何かの目的に役立つとされています。

人間関係でラポールをつくることも、
一つの目的の手段に位置づけられています。
例えば、カウンセリングやコーチングなどでは、
クライアントとの関係構築にラポールの形成は必須とされています。

ラポールコミュニケーションは何かの手段に過ぎないのでしょうか。

今回の竹馬の友との“おしゃべり”で、
そうではないことをはっきり確認しました。

ラポールコミュニケーションの場、
その場に生きる実感やかけがえのない喜びを感じ取る、
互いを無条件に信じ合い、存在を認め合う。

つまり、その場が生きる意味そのものではないのでしょうか。

あなたは家族団らんを何か特別の目的への手段と考えますか?
家族のコミュニケーションを良くすると、
例えば、子どもが気分を良くして勉学に励み、
一流高校、一流大学に入れるから、
コミュニケーションスキルを身につけようとするのでしょうか?

何かの役に立たなければ、
コミュニケーションに価値がないのでしょうか。

親と子の楽しい団欒、
友人との気の置けない談笑、
職場の同僚同士の気さくな会話、
それらが次の目的への手段だとしたら、
ちょっと寒いですよね。

何かの目的に利用されるコミュニケーション、
これじゃあ、油断もスキもあったものではない、
何か悲しいですよね。

ラポールコミュニケーションは目的を持ちません。
ラポールコミュニケーションの場が生きる喜びでなのですから。

あなたの家庭に
あなたの学校に
あなたの職場に
あなたの生きるところに
ラポールコミュニケーションの場があって、
生きていることが楽しかったら、
喜びのある時間を1分でも多く積み重ねられたら、
それが一番なのではないでしょうか。

今日はラポールコミュニケーションスキルを放ったらかしにして、
道草を食ってしまいましたね。

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