2011年12月10日土曜日
「今、現在」・「時」「時間」
実生活上、時間に追われることも多い。
「時」、「時間」は「今、現在」の実生活にどのように現れるのだろうか。
「時」は過去へと流れ去る、とよく言われる。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(方丈記)などは、
過去へと流れ去る「時」を前提して世の実相を綴ったものなのだろうか。
普通の生活の中でも、
『「時」、「時間」は一瞬、一瞬過ぎ去るから大事にしないといけない』
などと言われる。
しかし、私はこの目で「時」が「流れ去っている様子」を見たことがない。
見えるものは、常に「今、現在」の世界であり、
その世界のなかで確かに生存している自分がいる。
むしろ「時」、「時間」は流れ去るのではなく、
常に「今、現在」の中に蓄積して行っている、
と捉えるのが実態にあっているのではないか。
例えば、就職支援をするとき、
「これまでの仕事経験の中から、今あなたの中にどのような仕事力が蓄積されていますか」
「今まで蓄積してきた仕事力をこれから就く仕事にどのように生かしますか」
というように、過去-現在-未来を「時」、「時間」の蓄積と捉えるのです。
こうした経験から、過去の蓄積が常に「今、現在」を創っている、
今存在する世界、今ここにいる自分は「常に実存する」ものであり、
決して「今、現在」は「時」、「時間」によって流れ去るものではない、
と実感するのです。
だからこそ、今の自分、現在の世界の内に過去からの蓄積の意味や法則性を見出して、
未来の自分、未来の世界を描くことができるのです。
このようにして「今、現在」の内に未来を計画的にデザインするとき、
まだ実存しない未来が「今、現在」の内に統合され、
未来を自己のものとして「今、現在」を生きることができる、と思うのです。
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