2009年1月25日日曜日

メール 時間・空間と「場」

メールコミュニケーション
 時間・空間と「場」

最近、メールを使うことが多くなりました。
実際、使い慣れると便利なもので、
これなしにはホント、生活が考えられないような気さえしますね。

友達などとでも、単なる連絡の道具などではなく、
コミュニケーションの一つとして利用しています。
むしろ、実際に会うよりも、
メールでのやり取りのほうが多くなっているような気さえします。

実際に会ったり電話をするのに比べて、
時間・空間に制限されることなく、
コミュニケーションができるからだろうと思います。

メールコミュニケーションは、
伝えたいことをメール文にしてやり取りします。
一方が言葉を投げかけると、
他方が受け止めて、
今度は受け止めたほうが言葉を投げ返す。

コミュニケーションを「言葉のキャッチボール」という言い方がありますが、
まさにメールコミュニケーションに当てはまる、と思います。

さて、時間・空間とメールコミュニケーションの関係はどうなのでしょう。
ここでは時間・空間は共有されることはなく、
コミュニケーションという行為が時間・空間から独立して行われます。

そこにはコミュニケーションの「場」がありません。
「場」があるように感じるのはネットワークの「仮想場」です。

ですから、時間・空間に制限されないのであり、
(実在の)「場」から自由だから便利なのでしょう。

では、メールでは何をコミュニケーションしているのでしょうか。
「場」がないのですから、触れ合うこともなく、
表情をうかがい知ることもなく、
語気を感じることもありません。

あるのはただ一つ、言葉のキャッチボールだけです。
感情や思考を言葉にのせて「仮想場」に投げ入れているのです。

 失敗したよ(涙!)

例えば、メールの途中でこの言葉に出会ったら、
メール文の流れ、
メール相手との付合い経験、
或いは自分の内なる経験や知識などと照らし合わせて、
この言葉を受け取ると思います。

当然、受け取る人の経験や知識の違いによって、
受け取り方に大きな違いを生み出します。

もし、旧来の友人で気心も知れた人であれば、
対面コミュニケーションとの差はそんなに大きくないでしょう。

しかし、あまり知らない人の場合は、
自分の経験や知識と照らし合わせて受け取ろうとするので、
大きなずれが生じるかもしれませんし、
相手も悪意のない偽装をしているかも知れません。

よく知った人とのメールコミュニケーションでは、
受け取った言葉は、その人との実際の経験や知識とが結びつきますが、
時間・空間を共有していないのですから、
自分の内なる世界が作り上げる、
擬似ラポールコミュニケーションといえるのではないでしょうか。

よく知らない人とのメールコミュニケーションは、
受け取った言葉は、その人との実際の経験や知識がないのですから、
自分の内なる経験や知識と結び付け、
しかも「時間・空間も共有していないのですから、
自分自身とだけコミュニケーションして作り上げる、
仮想ラポールコミュニケーションといえるのではないでしょうか。


風呂上り、つい勢いに乗ってこんな時間まで書いてしまいました。
まだまだ、考慮の余地はありそうですね。

ご意見、ご批判をお待ちします。

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